特集「キャッチ」学徒出陣 101歳の元 学徒兵から若者たちへ あのころ言えなかったメッセージ 福岡 - 旅行する前に無料動画で確認だよね♪




無料動画や人気ランキングをまとめました!

あなたのお好みのメニューを選んでください♪

旅行するなら効率的に最安値のホテル探そう♪

ガンダムのオープニング・エンディング・挿入歌・キャラソンの動画♪

食べ物・スイーツの人気ランキング(色々な種類別)

ホビー・フィギュアの人気ランキング(色々な種類別)

ゲームの動画(色々な機種一覧)

アニソン・キャラソンの動画(アニメの開始年別)

テレビアニメの動画(放送開始年表)

OVAの動画(販売開始年表)


"特集「キャッチ」学徒出陣 101歳の元 学徒兵から若者たちへ あのころ言えなかったメッセージ 福岡" の動画はこちら


この動画をTwitterで共有!
外部プレーヤー埋め込みタグ


"特集「キャッチ」学徒出陣 101歳の元 学徒兵から若者たちへ あのころ言えなかったメッセージ 福岡"のYouTube動画詳細情報


特集「キャッチ」学徒出陣 101歳の元 学徒兵から若者たちへ あのころ言えなかったメッセージ 福岡


特集「キャッチ」学徒出陣 101歳の元 学徒兵から若者たちへ あのころ言えなかったメッセージ 福岡

特集・キャッチです。太平洋戦争中、日本は戦況が悪化するにつれ、高等教育を受ける大学生たちも戦場に送り込みました。「学徒出陣」です。「戦争ほどバカなものはない」と、あの頃は言えずにいた生き証人のメッセージをお届けします。 この動画の記事を読む> https://news.ntv.co.jp/n/fbs/category/life/fs88e200ad144f4c9fafd2a417a7400b17 福岡市西区の九州大学では新入生が入学の日を迎えていました。 ■新入生 「将来の夢は税理士になることです。毎日、友達と遊んだり勉強したりしたい。」 「いろんな周りの人との関わりを学びながら、これからの生き方を自分で決めていけたら。」 しかし、今から81年前。当時の九州帝国大学の学生たちは自分で決めることなく、突如、戦場へと駆り出されました。 太平洋戦争中、戦況が悪化し兵力不足に陥った旧日本軍。20歳以上でも徴兵を猶予されていた大学生たちに白羽の矢が立てられたのは、1943年秋のことでした。「学徒出陣」です。 福岡市東区の特別養護老人ホームで暮らす101歳の堤康弘さんは1942年、九州帝国大学法学部に入学しました。「学徒出陣」の経験者です。 ■元 学徒兵・堤 康弘さん(101) 「兵隊に呼ばれた時は…ちょっと待てよ。」 陸軍に入隊し、現在の北九州市若松区にあった高射砲の部隊で終戦を迎えました。終戦の3か月後に復学し、卒業後は記者などを経て平和運動に携わりました。その原点は、多くの犠牲者を生み出しながら無謀な戦争を続けた旧日本軍への怒りでした。 ■堤さん 「兵隊に行くことになるから覚悟しろと。“バカにすんな”という感じやったな。」 九州帝国大学からは、終戦までに堤さんを含む文系学部の学生など1346人が出征しました。そのうち少なくとも79人が戦死したことが分かっています。 当時の大学新聞です。出征する学生たちへ、教授たちからの“激励の言葉”が掲載されています。 「諸君は砲煙弾雨のもとにあっても、知識人の誇りを捨てることなく、与えられたる使命のうちに自己の世界を開拓せよ」 “激励の言葉”には、国の未来を担うはずの教え子たちを戦場に送り出さざるを得ない悔しさと、無事を祈る思いが込められているのではないかと、九州大学の歴史を研究する藤岡健太郎教授は指摘します。 当時は、大学への進学率がわずか3パーセントと言われた時代です。 ■九州大学・藤岡健太郎教授 「自己の世界を開拓するというのは、自分のためであるという意味合いでもあるので、生きて帰ってそこで苦難の成果を示せというような意味合いもとれる。」 帝国大学や高等専門学校から学問の道半ばで出征した学生は、全国でおよそ10万人にのぼると言われています。 当時の大学生たちは、生きていてもすでに100歳前後です。私たちは証言を求めて宮崎県へ向かいました。98歳の竹内敬郎(よしお)さんは、「生き証人」の中では最も“若い”世代です。 ■元 学徒兵・竹内敬郎さん(98) 「私なんか、こんなん言ったらいかんけど、お国のためと思って行ったわけじゃないです。戦争中だから、これに負けたら親父が殺されるぞ、おふくろが殺されるぞ、そんなら向こうのおふくろや親父を殺してやれとくらいにしか考えてなかったですから。」 1945年4月、京城帝国大学法学部に入学した竹内さん。徴兵の年齢は19歳に引き下げられていて、入学のわずか1か月後、神奈川県にあった海軍の学校に入りました。 ■竹内さん 「米軍が上陸する情報が入っていたから、特殊潜航艇に乗って訓練を受けていた。」 竹内さんを待ち受けていたのは、命をかけて出撃する特殊潜航艇の乗組員になるための訓練でした。 ■竹内さん 「海軍で言われていたのは、とにかくやっつければいいんだって。魚雷2本、2本当てりゃそれでいいと。」 その時が来れば死んでも仕方がないと、半ば諦めながら訓練を続けましたが、出撃することなく終戦を迎えました。 ■竹内さん 「あのころは戦争反対と誰も言うこともできなかった。やっぱり話とかんといかんなと思ってですね。戦争なんてするもんじゃないですよ。」 終戦後、京都帝国大学に編入し、卒業後は本籍地の宮崎県で県職員として地元のために働きました。戦争体験を語るようになったのは、ロシアによるウクライナ侵攻が始まってからでした。 声に出して戦争に反対しなければ、悲惨な歴史は繰り返されてしまう。そんな思いに駆られています。 九州帝国大学から出征した101歳の堤さんに、今の若者たちに伝えたいことを尋ねました。 ■堤さん(101) 「知ってほしいこと?戦争ほどバカなものはない。」 突如、学問の道を閉ざされ、死と隣り合わせの極限を生き抜いた「学生たちの戦争」。 ■九州大学の新入生 Q戦争に行くとなったら? 「行くとなったら、たぶん戦えないですね。」 もしあなたや、あなたの大切な人が戦場に行くことになったらどう思いますか。 最新のニュースは https://news.ntv.co.jp/n/fbs をご覧ください。 X FBS福岡放送ニュース(@FBS_NEWS5)でも発信中。 https://twitter.com/FBS_NEWS5
動画ID:UvHcPXF614E
投稿日時:2024年04月17日 20時05分
再生回数:343 回
コメント数:0
高く評価した人の数:7人
低く評価した人の数:人


"特集「キャッチ」学徒出陣 101歳の元 学徒兵から若者たちへ あのころ言えなかったメッセージ 福岡" の関連お勧め情報 検索結果




関連オススメ動画情報

スポンサードリンク

↑ PAGE TOP